ARTIST
バイオグラフィー
1952年ニューヨークシティ生まれ。幼い頃からブロードウェイ・ミュージカルやロックンロールに親しみ、ピアノやドラムといった楽器を手にするようになった彼は、14歳の頃になると自ら曲を書くようになる。青年時代の彼はシンシナティを拠点とするグループ、"East Orange Express" のリードシンガーとして活躍。このバンドは80年代初頭にといったヒットで知られる "Pure Prairie League"の前身となるグループである。19歳になった彼はソロの道を選び、1971年に初のリーダー作『New Blues』、続いて『Time To Fly』を米DECCAより発表。Rod StewartやThree Dog Night といったビッグネームのライブのオープニングアクトとして全米を回るなど精力的に活動を行う。70年代後半になると、Paul Simon を手がけたRoy Haleeをプロデューサーに迎え、1975年『It's In Everyone Of Us』、1980年『The Truth Of Us』といったポップな作品を発表する。その後しばらくの空白期間を経たのち、80年代後半にはロシアのミュージシャン Alexander Malinin と組んで作品を発表するなどの話題を提供するが、その後は映画やTV番組およびミュージカル用の音楽制作にその才能\を発揮するようになる。ポップミュージックシーンではどちらかというとソングライターとしての活躍が目立つ人でもある。この "The Old Songs" はもともと Barry Manilow のために書かれた曲であるほか、 Bette Midler, Kenny Rogers, Cliff Richard, Richie Sambora (Bon Jovi) 等といったそうそうたるミュージシャンに曲を提供している。近年は東南アジア圏を活動の拠点とし、リーダーアルバムは、新曲を含む1999年のリメイクベスト盤 "Born For You"、2000年にはクリスマス・アルバムの "The Eyes Of Christmas"、そして2001年発表の本作 "On This Way" が最新作となる。日本では1981年に田中康夫著『なんとなく、クリスタル』の映画化の際に、が同サウンドトラックに使用され、1985年には日本武道館で行われた世界歌謡祭出演のため来日、そして1997年の『成田離婚』…と何かと話題が尽きない人物だ。