ARTIST

リア・クライン LEAH KLINE

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バイオグラフィー

レベルの高いステージ・パフォーマーであるリア・クラインは、エンタテイメント界のあらゆる分野でその才能を開花させてきた。彼女はたとえオーディエンスが2,000人いようと、たった30名だろうと、同等の実力を発揮してヨーロッパでもアジアでもアメリカでも好評を得ている。歌詞の持つ意味合いを最大限に理解しつつ、独自の歌唱スタイルやフレージングを駆使して情感豊かに歌い上げる、というのがシンガーとしてのリアの特筆すべき点だ。舞台度胸の座った快活なステージングと、クリアでメロディアスなヴォーカルのトーンを最大の魅力とする彼女のフレージングや曲の解釈は、ジャズ・ファンからも好意的に受け止められてきた。現在アムステルダム在住の彼女は、かの地で歌手/音楽講師として充実した日々を送っている。ドイツ、オランダ、フランス各国を飛び回る彼女は、演劇界のステージにヴォーカリストとして立つことも多い。また定期的に出演しているジャズ・フェスティバルやジャズ・クラブのステージには、自身のグループを率いて立つこともあれば、ゲスト・シンガーとして立つこともあり、バックのミュージシャンの編成もトリオから17ピースのビッグ・バンドまで多岐に渡る。彼女は、ジャズ・ヴォーカル・コアリション(LA)、キャバレー・ウエスト、スクリーン・アンターズ・ギルド、アクターズ・イクウィティ・アソシエーションという各団体のメンバーである。\

リアは少女時代から教会のベル・クワイアやハイ・スクール時代の集中音楽プログラムや室内楽のコーラス・グループやミュージカル鑑賞で音楽を学んできた。その後(ノース・カロライナ州ウィンストンセーラムの)ノース・カロライナ・スクール・オブ・ジ・アーツでモダン・ダンスを専攻したリアは、飛び級でいち早く卒業してダンスの学士号を取得すると、ワシントンD.C.にて自ら主宰するダンス・カンパニーで監督と振り付け師を務めていたが、やがて自身のパフォーマーとしての活動に集中すべく拠点をロサンゼルスへ移した。

しかし大地震の後、身体的な事故によってダンスの道が閉ざされた彼女は、歌手としてUSO(世界中のアメリカ軍基地に従事するメンバーにレクリエーションのサービスを提供する個人運営の非営利団体、The United Service Organizations Inc. の略)ツアーに参加し、ヴォーカリストとしての将来を真剣に考えるようになった。 LAの音楽講師であるロバート・エドワーズに師事してベルカント(イタリア語Bel Canto 、「美しい歌」「美しい歌唱」の意、声楽用語のひとつであり、大体においてイタリア・オペラにおけるある種の理想的な歌唱法を指す)のテクニックを習得した彼女は、1996年までにロサンゼルスのジャズ・シーンにおいて確固たる地位を築いた。これは、ストーリー性や台詞を交えながらジャズとミュージカルのレパートリーを巧みに融合させ、これを伝統に基づいたソロ・ピアニストのバッキングではなく、ジャズのトリオ、もしくはカルテットを従えて上演する、彼女の“ジャズ・キャバレー”パフォーマンスの始まりも意味していた。リアは豪華客船で知られるシーボーン・クルーズ・ラインのゲスト・ヴォーカリスト兼セレモニーのプレゼンターの統括役として、米国とアジア間を旅した経験も持つ。

“ヨーロッパの音楽シーンを開拓する”目的で2000年にオランダのアムステルダムへ移住したリアは、Joop van den Ende productionsの《There's no Business Like Show Business》、《42nd Street》、《Musicals in Ahoy》等のミュージカル出演を始め、アムステルダムのConcertgebouwで開催されたアン・バートン・トリビュートの出演者に選ばれてグレン・ミラー・メモリアル・オーケストラと共演したり、2005年のオランダのジャズ・ヴォーカリスト・コンペティションで4位に入賞したり、ZwolleのSchouwburg OdeonのコンピレーションCDに作品が収録されたりと、八面六臂の活躍を続けている。

彼女がドイツ、フランス、オランダ各国の一流の音楽プロジェクトから頻繁に声がかかるヴォーカリストであり、定期的に出演しているジャズ・フェスティバルやジャズ・クラブのステージには、自身のグループを率いて立つこともあれば、ゲスト・シンガーとして立つこともあり、バックのミュージシャンの編成もトリオから17ピースのビッグ・バンドまで多岐に渡る、ということは前にも述べた。加えて、彼女はAmstelveenの地元ラジオ局において、Hans Frijllingと共に〔the Jazz Corner〕という番組のDJも務めたことがある。彼女はさらに、フリー・インプロヴィゼーションのプロジェクトや自作曲への取り組みで、自己の音楽の向上に努めている。彼女が初めて書き上げた「Call of the Muse」は、彼女のアルバム『Playground』で聴くことができる。リアは今でもLAのミュージシャンたちと音楽で交流するために毎年LAへ戻る。彼女のデビューCD『Playground』(~Theatrics~2004年1月オランダでリリース)は、2003年のLA旅行が結実したものだ。ロサンゼルスにおける彼女の音楽のパートナー、ジョン・ランゲルと仲間のミュージシャンたちの協力を得てレコーディングされた同CDは、リアがLAのミュージシャンたちと何年もかけてステージングやアレンジを完成させ、愛情を込めて“ジャズ・キャバレー”と呼ぶスタイルの集大成だ。

アムステルダムの演劇学校のゲスト講師としてモダン・ミュージカル・・シアター・ダンスを教える彼女は、ヨガ、文筆活動、詩の鑑賞、旅行、外国語、森の長距離散歩といった趣味にも非常に熱心だ。

ディスコグラフィー