ARTIST
バイオグラフィー
ぶどう÷グレープ(ながい÷グレープ=永井秀彦)ヒストリー
1981年、ポストパンクムーブメントの中、リーダーの永井秀彦を中心に、久保田亨(plastic soul amanda)、中村達也(LOSALIOS)の3人で「ショッカーズ」結成。東京ロッカーズのS-KENプロデュースによる音源(未発表)を制作したり、ルースターズやアンジー、ローザルクセンブルグとの共演も果たす。幾度かのメンバーチェンジ後、ショッカーズ時代には、1枚のアルバムと1枚のオムニバス盤を発表。1987年にはFMのパーソナリティーとしてもレギュラー番組を持つ。\r
1992年、新しいコンセプトのユニットをつくるため、ショッカーズ活動停止。その後メンバーでもあった藤原とアコースティックデュオ「HIDE&BILLY」結成。1995年にリズム隊が加わる形で「バケラッタ」結成。VIVID SOUNDより2枚のアルバムと1枚のマキシシングルを発表。センセーショナルな話題を放つ。1999年には、サエキけんぞうプロデュースによるオムニバス盤“DRIVE from 2000”に参加。バケラッタ当時には、サエキけんぞうをはじめ、ケラ(ex.有頂天)、岡田徹(ムーンライダーズ)etc多くの著名人から熱烈な支持を得た。
2001年、ヴォーカルの近藤久美子等が参加し、さらに発展する形で「ぶどう÷グレープ」結成。少年ナイフとの共演等、熱いライヴを展開しつつ、1枚のオムニバス盤に参加後、2005年3月、1stアルバム“恋人はこうしてつくる”をVIVID SOUNDより発表。プロモーションビデオも制作された代表\\曲“レスキューレスキュー”がTV,FM,USEN,着うたetc多数取り上げられ、話題を呼ぶ。その後、東京にも進出。2005年12月には、一夜限りのスペシャルユニット「サエキけんぞうwithぶどう÷グレープ」で往年のNEW WAVEファンをもノックアウト!!(その後名古屋でも実施)波に乗っている中、そのサエキ氏を作詞に迎えたセカンドアルバム“そこから☆でてきなさい”を発表(2006年3月)。
創作意欲の収まらないバンドは間髪入れずレコーディングに突入!数々のライヴ、イベント等をこなしながらも2007年3月には大傑作サードアルバム「おとなたち×こどもたち」を発表。レコ発ライヴとして、あのパール兄弟を従えて!?東名阪ツアー敢行!さらにレコ発ファイナルでは、初のホールでのワンマンライヴを地元名古屋で実施!更なるぶどう÷中毒者を増殖させる。海外からも熱いエールを受けており、アメリカのレーベルのオムニバス盤にも1曲参加。アメリカ、イギリスツアーも今後予定されている。
そしてバンド内活動では収まりきらないのか、ながい÷グレープが装置メガネのライヴに参加したり、くみんこ÷グレープがサリーソウルシチューのゲストヴォーカルに大抜擢され、渋谷系ファンの間で人気者になるなど話題にはこと欠かない。そんな多忙のなかでも、すでにいくつかの新曲が完成しており、レコーディング突入も間近!近い内に4枚目のアルバムが皆さんにお届け出来るであろう。