いつものように自分が書いた進行台本をここに直張りします。これがみなさんの音楽ライフの参考や一助にでもなれば嬉しいですね。よろしくです!
Kenrocks Nite ver2 #240 Brinsley Schwaz特集 2016.2.11OA
この人がバンド名の由来。ギター/ボーカルのブリンズリーさん。
ユニークな?髪型の若きニックロウ。パンクなのか単に角刈りなのか。
みなさん、こんばんは!大貫です、カッチンです!世間的にはバレンタイン週間らしいけど、そんなのカンケーないネ!今夜も楽しくリラクシンな時間がやって参りました。音楽ファンなら聴かねばソンソン。まぁ、そーは言っても今時の流行もんとかJなんちゃらとかいうのは一切やらないので、そこんとこ、ヨロシク!世の中にはほかにもゴマンとGood Musicあります。その一部を毎週こうして二人でお送りしてるんですね。さて、今夜はイギリス70年代初めに一部で注目された俗にいうPUB ROCKの先駆者、ブリンズリー・シュウォーツで、つい最近全アルバム6枚が日本初CD化されて何より驚くのがお値段です。1枚たったの税込み1200円。ここは爆買いでしょ。1万円でおつりが来ます。このチャンス逃すと二度は無いね。で、じゃあどんなバンドか聴かせて!ってことですよね。やります。6枚から1曲づつ選んで、ボートラもつけて。では、back to 1970この曲から。
T-1~15”
M-1 Shining Brightly / Brinsley Schwarz
4’14” FO 「Brinsley Schwarz」 1970 WPCR-17021
<トーク1>2’30” 曲受けて解説?ブリンズリーは、60年代にキッピントン・ロッジというバンドがあり、それが母体で生まれた。リーダーのギター、ブリンズリーにキーボードのボブ・アンドリュースにベースがニック・ロウ。69年に改名してメンバーも固まる。マネージャーのデイブ・ロビンソンはアメリカ・ツアーを行い、70年春、有名なニューヨークのライブハウス「フィルモア・イースト」でvan Morrison、Quicksilver Messenger Servisの前座を。実はロビンソンがバンドの売り出しに利用して、イギリスから記者や業界人ら数十人も招待してお披露目しりょうと目論んだが、すべてが狂い、バンドもメデイア関係も飛行機の遅れなどで最悪の体調、リハもろくに出来ず、取材陣もヘロヘロで、これでまともなライブなんて無理。加えてタダで旅行気分で出かけた記者からもブーイング。大枚はたいたのにやらなきゃよかった!。帰国してすぐに発売したデビューアルバムは「ボロボロ」の酷評。出だしからケチがついた。
T-2~20”
M-2 Conutry Girl / Brinsley Schwarz
3’09” 完 「Despte It All」 1970 WPCR-17022
T-3~4”
M-3 Nightingale / Brinsley Schwarz
3’04” 完 「Silver Pistol」 1972 WPCR-17023
T-4~14”
M-4 Surrender To The Rhythm / Brinsley Schwarz
3’21” 完 「Nervous On The Road」 1972 WPCR-17024
<トーク2>3’00” 曲受けて解説?いろいろ大変だったけどなんとか踏ん張り、一応順調に活動してアルバムもコンスタントに作り、ライブも国内ツアーを多くやり、それが主に各地にあるイギリスならではのPUBとかでのステージで、やがてそういうバンドたちをメディアが「パブロック」と呼び、ロンドン名物に。ダックス・デラックス、ビーズ・メイク・ハニー、キルバーン&ハイローズ、チリウィリー&レッドホットペパーズ、カーサル・フライヤーズ…でトドメがロンドン東部キャンベイ・アイランドから出て来たドクター・フィールグッド。一気ににぎわった。ただ、ブリンズリーは聴いてわかるように、かなりアメリカ寄り、むしろカントリーロックとかに憧れて、バンドやバーズとかに影響されそういうプレイをしていた。最初の2枚はまさにね。徐々に個性が出て来たのは3枚目からで、ほとんどの曲を書いていたニック・ロウに加えてセカンドから曲の書けるイアン・ゴム(ギター)が参戦したことも大きい。でも、ヒットが出ない。期待が大きいのに。では、バンドの後半へ
T-5~8”
M-5 Don't Ever Change / Brinsley Schwarz
3’44” 完 「Please Don't Ever Change」 1973 WPCR-17025
T-6~14”
M-6 ( What's So Funny 'bout ) Peace,Love And Understanding / Brinsley Schwarz
3’30” 完 「New Favourites Of Brinsley Schwarz 」 1974 WPCR-17026
<トーク3>2’00” 曲受けて解説?カバーも案外さらっとね。後半になるほど彼らの音楽性のバックグラウンドも広がり、デビュー当初とは大違い。ある意味では方針は変わってなくてもアプローチや自身の可能性が成長して、アメリカン・ロックの、よりディープな要素を取り込んだり。R&Bは言うまでもなくニューオリンズものとかコアなセンスもこなすように。M-6は後にニックロウが面倒見たコステロもカバーした曲。なのに、ヒットしない。74年後期、7枚目のアルバムの準備中に解散。このアルバムにはイアンゴムと共作した「クルーエル・トゥ・ビー・カインド」が入る予定だった。結局それはニックロウの2枚目のソロ「レイバー・オブ・ラスト」で披露され全米12位のヒット。同じ時期イアン・ゴムのソロデビュー曲「ホールドオン」も18位に。残されたブリンズリー&ボブはデビューしたばかりのグラハム・パーカーのバックをルーモアとしてサポート。同時にマネジャーのデイブが作ったインディーレーベルSTIFFの専属バンドとして多くの作品に寄与した。また、ニックロウがイギリスで最初のパンクのシングルとなったダムドの「New Rose」のプロデュースを手がけたことも有名。メンバーのほとんどが今もなお健在なのは頼もしいね。では最後に彼らが別名(ザ・ニーズ)で出したビートルズのカバーを最後に。ビートルズ好きだよねぇ?。結局器用すぎたのかね?バンドは難しいわ。
T-7~14”
M-7 Day Tripper / Brinsley Schwarz
2’42” 完 「New Favourites Of Brinsley Schwarz」 1974 WPCR-17026
この後「RUMBLE」へ
いかがでしたか、今夜のKENROCKSNITE?まぁ、トコトン不運と言うかツキに見放されたバンド、って感じですね。でも、演奏も曲も全然悪くない、どころかあの時期のほかのバンドより頭ひとつ抜けてると。でもヒット曲が出ないとやっぱりダメなんですね。イメージとかキャラもそこまで強烈じゃないし、むしろイマイチあか抜けない。着るものとかもテレビに出るときも普段着?みたい。コーディネータとかそういう戦略家が必要だったのか?でも、音楽は素晴らしい。なのでこの6枚シリーズを今ゲットでしょ?詳しくはワーナーのHPまで。ここでお知らせ〜21日、日曜日に渋谷クラブASIAで私のバースデーパーチーの謝恩会。プレゼント受けつけます。16時から23時頃まで。チケット絶賛発売中!詳しくはASIAまで〜〒150-0044 東京都渋谷区 円山町1-8 電話03-5458-2551。
では、今夜はこのへんで、お相手は大貫&カッチンでしたー。また来週ADIOS AMIGOS!