So-Cal Connection <Verse 6>
80年代の前半、シンディーの頃からジョイの時代、そして、更にジェニーの時代までと、私にとっては3人のガールフレンド時代を跨いでのアンコールで公演が継続された、ブロードウェーのヒット作で「ビートルメニア」と言うショーが、ハリウッドのパンテージスシアターでロングランされていました。
実際に何年にブロードウェーで開幕され、それが何時ハリウッドに来たのかとか、全く覚えていないのですが、最初はシンコーミュージックのお客様が新婚旅行で来ていて、それに付き合わされて見に行ったのがきっかけで、数年間に渡り、私は8回も見てしまいました。その名のごとく、ビートルズの歴史を辿って、ライブでの演奏と、フィルムとの組み合わせのショーで、私は完全にビートルメニア(日本風の発音ではマニア)の虜に成っちゃいました。
ブロードウェーでのオリジナルキャストには、かのマーシャル・クレンショーがジョン・レノン役をやっていたものです。彼とは、その後10年以上してからお付き合いをする事となったのですが、もちろん、その頃は彼とビートルメニアとの関係を知りませんでした。とにかく、キャストによってはポール・マッカートニー役が右利きの場合も有りましたが、それでも、不自然さを感じさせない位、どのキャストもビートルズに成りきっていたと思います。
実は、このショーをシンコーミュージックの力を借りて、日本へ持って行こうと企画をしたのですが、日本にはこのショーが出来る様な、深い奥行きを持ったステージが無かった為に実現しませんでした。しかしながら、私が企画してから5年後位に、どっかのボーリング場を使って、このビートルメニアが日本で幕を開けたのですが、全然オリジナルの持っていたステージのイフェクトが生かされず、余りパッとせずに終わってしまったのでした。オープニングでは、ステージの前にシースルーの幕が下りていて、そこにテレビの画面が映し出されており、実際に初めてビートルズがアメリカのテレビに出演した時と同じ様に、エド・サリバンがイントロダクションをし、演奏が始まります。そうして、ゆっくりと、そのステージ前の緞帳の位置にある幕が上がって行きます。すると、それまでまるでテレビの中だったビートルズが、ライブバンドとなる訳です。そして、そこから、時代と共に、髪の毛も長くなり、衣装もサージェントペッパー時代へとサイケデリックになり、最後はレット・イット・ビーで終わるのです。
大のビートルズファンであった私としましては、8回共に、天国に居る様な気持ちで見入っていたものです。シンディーは、幸運にも67年のドジャースタジアムでのビートルズのライブを見ていたものですから、ビートルメニアは一度だけ見て、「ビートルズが実際にはステージで演奏出来なかった曲まで演奏しているのは不自然で耐えられないの!」ってことで、私とは一度も見に行きませんでした。確かに、ステージでの演奏活動を止めてからの曲に関しては、ステージの袖で、オーケストラがビデオのモニターをキューにして、演奏していましたので、レコードと全く同じアレンジで演奏出来ちゃう訳です。ですから、オリジナルのビートルズを見た人にとっては、不自然なことなのだと理解出来ますが、私にとっては、これが本物に一番近い形でのビートルズだったのでした。
六本木のペニーレーンに出ている日本のコピーバンドとは大きな差が有りました!
私の音楽は、映画「ラブストーリー」でアリー・マックグローが演じた癌で死んじゃう女の子ジェニーと同じで、「モーツァルトとバッハとビートルズ」なのです。それに、「ヨハン・シュトラウス(お父さんの方)とキングストン・トリオ」が付け足されたってのが全てです。モーツァルトとバッハについては、その当時どの位カッコ良かったのか全然想像も出来ませんが、ビートルズの4人が、私にとっては最もカッコイイ男性像です。これ以上のバンドは無いでしょう!って今でも思っています。 <続く>