So-Cal Connection <Verse 4>
いよいよ音楽について掘り下げようかと思ったのですが、ここでちょっと寄り道をして、やはりこの頃の思い出で、忘れることの出来ないイベントについて書いておきたいと思います。
今は独立をして、大成功を修めている古舘伊知郎との古き良き80年代の出来事についてですが、あの頃は未だテレビ朝日のアナウンサーで、新日本プロレスの実況中継を担当していました。さて、この猪木を主人公とした、新日本プロレスの北米巡業が年に2度程、ニューヨーク、カナダのカルガリー、そしてロサンゼルスというお決まりのパターンで行われていたのです。必ずニューヨークのマディソンスクエアガーデンからスタートし、カルガリーを経由してから、ロサンゼルスに入り、オリンピックオーデトリウムと呼ばれる、古いアリーナで興行されていたのですが、古舘とは高校時代からの仲間だったので、このツアーがロスに来ると、必ず伊知郎から私に電話が入った訳です。ところで、「イチロー」ってのは、古舘がオリジナルです!シアトル・マリナーズの鈴木はずーっと後から出てきたものですってことを断わっておきますね。
その伊知郎から電話があると、「おい、俺だよ!」っていきなりくる訳です。私はもちろん全然分らない振りをします。そうすると、「おい、分らないのか?おめー、何なんだ!俺の声を忘れたのか?」ってダミ声をしきりに発する訳です。こんな電話をしてくる奴なんていませんから、最初っから伊知郎だって分っているのですけど、そんなの関係ないのです。
この何時も通りの挨拶が交わされると、「ねー、坂本、お願いがあるんだけど、ビーチに連れてってくれない?山本さんがどうしても行きたいって言ってるんだけど。頼むよ!」とか、「ねー、坂本、本当に申し訳ないんだけど、ディズニーランドに連れてってくれないか?俺行ったことなくて、ちょっと恥ずかしいんだ!」ってなことになるのです。この山本さんと言うのは、もちろん故山本小鉄さんのことです。この新日本プロレスのスッタッフは栗山さんというテレ朝のプロデューサーを筆頭に、彼らもプロレスラーに充分成れるような豪傑が揃っていて、とにかく半端ではなかったですね!
私は栗山さん以外のスタッフの連中とは余り会うことは無かったのですが、山本小鉄さんも含めて、伊知郎に何か頼まない限りは、カルガリーからロスに入った日の午後にリハーサルを済ませ、その足でラスベガスへ飛ぶのです。そして、一晩中ギャンブルをして、翌日の午前中にロスに戻り、その午後に本番を撮り、その直後に再度ラスベガスへ飛び、その翌日の東京へ向かって出発する直前にロスに戻り、ホテルの荷物をピックアップして帰国っていうパターンになり、その2晩は一切寝ないのです。
それに飽きて来たのか、私には良く分りませんでしたが、次第に山本さんは伊知郎とロスに残る事が増えて来ました。
山本さんがロスのニューオータニに残って居る時には、その当時、未だ出始めの藤波と、その下の体操服を着た若い連中も、必ず山本さんと行動を共にする訳です。
初めて私が山本さんにお会いした時の事ですが、「おー、貴方が坂本君?古舘から良く噂を聞いていたよ。さあ、晩飯を食べに行こう!」ってなことで、リトルトーキョーのニューオータニの裏側に在った日本人町に繰り出したのです。繰り出すって言葉が最適と思われる理由は、山本さん、伊知郎、そしてゲストである私が一番前を歩き、その直ぐ後で、山本さんの影を踏まないような距離で(これは夜なので影なんか実際には見えないのですが)藤波が歩き、その又、影を踏まないような距離で体操服の新人達が数人歩く訳です。この時、生まれて初めて、何処を歩いても怖くないなって思いました。ロスのダウンタウンだろうが、ニューヨークのハーレムだろうが全然問題に成らないと思ったものです。ま、銃で撃たれたらどうにもなりませんが・・・。
この夜は総勢9人だったと記憶しています。まず、このリトルトーキョーで一番人気の有った寿司屋「大政」へ行きました。そこで、山本さんが「坂本君、牡蠣好きだよね!」って尋ね、私が「はい」って答える前に、既に1人に1ダースずつオーダーしちゃったのです。これがカウンター狭しと占領するように座っている9人の前に出ると、1分か2分位で、更に1ダースずつ追加のオーダーがされちゃうのです。私と伊知郎は、もちろん普通の人間ですから、未だ4つか5つしか食べていませんので、2皿目は、お店の人が気を遣って出して来ませんでした。さあ、2ダース目を他の7人が、又、2分程で平らげてしまうと、夫々に寿司を注文し始め、伊知郎と私が3種類位を食べる間に、他の人達は10種類は食べてしまっていました。とにかく、あきれ果てた状態で、大政を出ました。もちろん、お腹は一杯の状態です。すると、山本さんが「さて、晩飯を食べようか!」って言うじゃないですか!!!びっくりしているうちにも、「ステーキは好き?」って山本さんが聞くのですよ。もう開いた口がふさがらないと言うか、これ以上、口に何も入らないと言うか、とにかく、冗談でしか無いと思っている間に、スタスタと大政から2軒目くらいのステーキハウスに入って行っちゃうのです。
そこのステーキは、もちろんお店で一番大きなニューヨークステーキを出され、伊知郎と私は必死で食べました。これで終わりと思いきや、その店を出るなり、山本さんは「さてと、まだお腹空いてるから、最後に蕎麦でも食べようか?」って言うではないですか。
さすがに私は「山本さん、もう私は食べられません」って言っちゃったのです。すると、いきなり山本さんにヘッドロックを掛けられてしまいました。これリトルトーキョーの人混みのど真ん中で起こっている訳です。この時の、このヘッドロックの山本さんの腕は、まるで石の様にカチカチであったことが印象的でした。全く微動だにしないのです。そして、山本さんは、「坂本君、どうだ?蕎麦食べるだろ?え?」ってやるのでした。これ、どうしたら良いと思います?「はい」って言うしかないでしょう?ね!それで、蕎麦を食べさせられた時には、もう吐きそうでした。<続く>
*写真はGoogleから勝手に引用させて頂きました。